晩婚晩産家のお金事情

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生活のためにこそ政治をあきらめないこと

高名な小説家の「日本の政治家が最悪」というインタビュー記事が、一部で(批判的に)話題になっているようです。

 

私もそのインタビューを読んで(前半だけですが)、個々の指摘は適切であるとしても、政府・国会全体を「政治家」とひとからげにする批判はそもそも不当であるし、それによって政治に対するあきらめを助長する害悪を感じました。

 

 

コロナ禍における日本政府(その責任を負うべき政権与党)の対応が最悪だったことは間違いありません。

 

学問の自由を突き崩そうとする学術会議の任命拒否問題、現職総理大臣(当時)のスキャンダル、さらに国会での追及に対して虚偽答弁を重ねた醜悪な「桜を見る会」事件など、今年起こった事件のうちのいくつかをを思い起こすだけでも、現在の日本の政治は最悪というのに十分でしょう。

 

しかしそれは与党の政治の問題であり、全国会議員、全政党に対する批判や絶望に話を広げてはいけません。

 

税金と行政リソースの浪費にしかならない「アベノマスク」に反対し、クラスター対策一辺倒から検査拡大と隔離・保護への転換を提案し、奮闘する医療従事者、医療機関への支援を要求し、苦境に陥った事業者と国民の救済を訴え、時期もやり方も不適切な「Go To」キャンペーンの停止を求めた野党勢力はちゃんといるわけです。

そういうまっとうな政治家、政治活動に目を向けず、おおざっぱに「今の政治家はだめだ」とやってしまっては、私たち国民の目を曇らせ、政治を変えるチャンスを閉ざすことになります。

 

思えば私たちは何十年にもわたって「政治なんて誰がやっても同じ」「選挙のときだけいいことを言っても、そんなものは口先だけ」「あいつらはみんな裏では私腹を肥やすことばかりしている」「先生だなんて威張っているが、おれよりずっと頭が悪いんだ」というふうに政治を冷笑し、政治から距離を取ってきました。

 

その結果が、世界でも悪い方で5本の指に入りそうなレベルの愚かしいコロナ対応です。私たちの政治に対するかかわりの弱さが「国民のために働く」という意思も能力もない人が政治のトップに就くことを許し、ついに誤った政治が直接に私たちの命を脅かす事態まで招いてしまいました。

 

ここでまた「だから政治に期待しても無駄なんだ」になってしまっては、何も変わりません。というかますます悪くなるばかりです。

 

自分たちの代表にふさわしい政策を公約に掲げる候補者に投票し、選ばれた代表が公約に忠実に私たちの幸福のための政治活動を議会内外で行っているか注視し、その活動をしっかり評価して次回の選挙に臨み、汚職など政治家にふさわしくない行いをした者を厳しく追及して退場させることによってしか、政治はよくならないのだと思います。

 

私は、今の政治に自分の老後やわが子の将来を託すことはできないと思ってせっせと貯蓄に励んでいるのですが、個人でできることには限界があります。それに、もし日本全体が焼け野原のようになってしまったとして、自分だけが無事ならそれでよし、とは考えられません。

 

と、帰省も旅行もあきらめ、子どもたちもさびしい冬休みを我慢している中で思ったことを、取り留めもなく書きました。

 

(この期に及んでステーキ食ったの食わないのという言い訳を、絶望的な気分で聞きながら)